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「安らぎの聖ジャーメイン」
−− 本当に地球の平和を望むなら −− 
−− あなたが地上で心安らかでありなさい −−

2001年1月3日 ドナ・シメルナスを介して聖(セント)ジャーメインからのメッセージ
希望のメッセージ掲載 Vol.2 2001年10月14日版
出典:http://www.spiritofmaat.com/messages/oct14/germain.htm

平和とは、安らぎとは存在のひとつの状態です・・・
すべてのものとハーモニーとバランスを保って、いまここにあることです。

安らぎは、光と闇の間のスペースに存在します。それは二極性の間での完全なバランスです。

安らぎとは二極性の両極を理解することであり、何ものにも対立を見ることはありません。

安らぎは対立を知りません。神が対立を知らないように。
神は、神自らに対立することはありません。

しかしながら、あなた方の自由意志において、人類には選択肢があります−−
自らに対立するか、あるいはバランスを創造して内なる「源なる神」を完成させるかの選択です。
もっとも、ひとが対立を選択できるのは、分離の幻想の中にいるときだけです。

恐れはまた別の幻想ですが、これが対立をうみだします。
すべての対立は、恐れによって動機づけられています。それは永遠に続く下降スパイラルです。
あなたが恐れと対立を、もううんざりというほど満喫するまで、それは続きます。
その最後の瞬間、あなたはついに「万能なる、我、実在なり」が輝きを放つのを
許し、恐れと対立から愛とバランスへとシフトするでしょう。
対立を手放す選択をするとき、
あなたは自らの「神なる自己」に明け渡すという選択をしているのです。

あなたが善や正義の立場に立つとき、あなたはただ、それに対立するもの−−
例えば憎悪とか戦争とか −− に対して反感を抱き、これを攻撃しています。
それは、あなたが対立しているということです。
この対立という空間の中で、あなたは憎悪や戦争と同じエネルギーに巻き込まれているのです。
しかし、ああ、あなた方はこう言うでしょう・・
「私たちが戦争に反対するのは平和のためなんだ!」
でも、私はあえて言います。

平和は対立とは無縁なものです。安らぎは対立を知りません。
平和とは、心安らかだから平和なのです。
自分は平和的だと言いながらも、あなたの兄弟がおこなった間違ったこと、
あるいはおこなわなかったために道を誤ったことを責めくどくどとこれを繰り返すなら、
そのとき、あなたの心は安らいではいません。少しも平和的ではありません。
あなたが体制と戦い、世界の不正に反発し、
そして、兄弟たちと競争することに時間を消耗するとき、
あなたは心安らいでいる状態にはありません。
すべての状況を、正誤や善悪、白か黒かに分極化させては、安らぎは生まれません。
対立があるところに平和はありません。

あなた方は平和を望むと言います。
平和(Peace)を手にするためには、あなたが心安らか(Peace)でなければなりません。
ハートの炎の中で、安らぎに慣れ親しむようにならなければなりません。
心安らかであるただひとつの道は、他の人々が彼ら自身の体験を味わうのを許すことです。
たとえそれが、あなたにとっては、どれほどの闇の行為に思えたとしても。
あなたが安らぎの中にあれば、彼らの闇があなたに影響することはありません。
むしろ、彼らの内にキリストの愛と光と安らぎを見るでしょう。
それが彼らの本性、真実の姿であり、あなたが安らかな意識にあるときだけ、
そこに気がつき、それを悟ることができるのです。

他の人々のふるまいや態度、権威や行為あるいは価値判断に共感をおぼえないなら、
それはあなたがハーモニーの状態にない、共鳴していないということに気がつくチャンスです。
それは恐らく、あなたの不調和な気持ちを声に出して表現する価値さえあります。
そのような彼らの行為は、あなたには共鳴できないと伝えるためです。
まったくのところ、あなたはそうして知恵を分け与え、
ひょっとしたら、もっとバランスのとれた方法を実演してみせられるかもしれません。
このようなおこないは、安らかなバランスのとれたものとなるでしょう。
これは平和が生まれる際にも見られることです。

しかしながら、太陽神経叢のあたりが苦々しくむかつく時は、じゅうぶんに警戒しなさい。
自らの内側に不満の憤激が燃え上がっていたら、気をつけなさい。このような時に行動すると、
まさに戦争や敵対にふさわしい行為をもたらすものです。
正義と憤激の行動は、安らかな行為ではありません。
平和活動とは言えません。
それは敵対行動です。
平和とは、心安らかだから平和なのです。
平和は敵対とは無縁です。
「でも、ただくつろいで何もしないでいたって、何の役にも立ちやしない」と、あなた方は言うでしょう。
それは実際にそうかもしれません。
しかし、敵対することは、ただ、さらに多くの戦争を生むだけなのです。
ならば、ひとは何をなすべきなのでしょう?

平和とは、心安らかだから平和なのです。
心安らかでありなさい。
そうすれば、平和を手に入れるでしょう。
安らかに生きなさい。心安らかでありなさい。
安らかに息を吸い、息を吐きなさい。
安らぎを目にして、平和を夢見なさい。

平和の名のもとに、対立を正当化してはなりません。
天の平和は、戦いも正当化も必要としません。
地上に天国をもたらすためには、あなたはただ、あなたの本性、真実の姿なるものに、
自らを明け渡さなければなりません。
すべての魂の内なる「我、実在なり」は対立とは無縁です。
それはただ安らいでいるだけです。

対立に備えて自ら武装するとき、あなたは、あなたそのものである愛と光から自らを遮断します。
光をマントでおおって、闇の中に閉じ込めてしまいます。
こうしてあなたは、あなたが対立している相手そのものと同じになってしまうのです。
戦争を行う者を目にして彼らは悪であると非難するとき、
その非難によって、あなた自身が悪そのものになります。
その一方の極、悪の「反対」側に平和をすえる限り、平和を手にすることは決してありません。
「反対」というからには、そこに対立があるわけで、それは二極性と二元性が存在するということであり、
それによって三次元密度の現実へと、ますます深く引き込まれてしまうのです。
平和を達成するために戦争という手段に訴えるなら、それはただ、さらなる対立をうむだけです。

平和を探し求めても、見つかることはありません。
平和とは、安らぎとは、探し求めることができないものだからです−−
それはただ、体験されうるだけです。
平和とは、心安らかだから平和なのです。
恐れを利用して対立を生み、あなたそのものである光からあなたの気をそらしてしまうのは、
低次のマインドであり、人間のエゴです。
対立を構築したのは人間です。

私たちはあなた方にこう言います・・「対立を溶かしなさい!」
対立があなた方の役に立つことはありません!
平和に、安らぎにフォーカスをあてなさい。
そうすれば、あなたはますますそれを創造するでしょう。
対立にフォーカスをあててみなさい。
そうすれば、ただ、さらなる対立が生まれるだけでしょう。

理解しなさい。
健康や幸福、愛と喜び、恍惚とするような歓喜は、内なる安らぎが生みだすものなのです。
病気や欠乏、批判と闘争、そして痛みは、対立が生みだすものです。
これらの苦悩のすべてを、あなたはいったいどうしますか?
これらを正そうと努力奮闘するかぎり、あなたはたださらなる対立を続けるだけなのです。
うわべでは、あなたはこう言うかも知れません・・・
「私は心安らかな人です。私は何に対しても対立することはありません」

純粋なハートで正直に、自らの内側深くをのぞきこんでください。
あなたが自らに課した対立という刑罰のすべてを、自分自身で手放しなさい。
二極性の世界では、多くの人が、鋭い批判で他人を裁く立場から活動しています。
これは正しい道、あれは誤ったやり方と言い放ち、正誤間の空間をますます大きく広げながら。
きわめて正しいという新しい一方の極が現れるごとに、
二極性はなお一層拡大し、そして、きわめて誤りというその反対の極が出現します。
振り子は、この対立勢力の両極間を果てしなく揺れ続け、さらに対立を深めるのです。

悪を正すことには、バランスの歪みがあります。
振り子が揺れるのを止めて、正誤や善悪、光と闇という二極性の中間に静かに位置するとき、
そこに静寂があります。安らぎがあります。
安らぎは二極性の中間に位置しており、そのどちらか片側にではありません。
片方は正しく、もう片方は間違っていると裁き、価値判断する限り、安らぎを得ることはありません。
そこに平和はありません。
あなたが対立の中に生きているとき、これに反対しあれに敵対し、政府に反対し、
経済や唯物論や政治や・・・それがたとえいかなるものであっても、
何かと対立しているかぎり、あなたは心安らいではいません。
平和に生きてはいません。
あなたの対立の目的が平和であっても、何かに対立しているなら、あなたは平和に生きてはいません。

何かを間違ったものとして見るなら、それはすべて対立です。
それは多くの人にとって、受け入れるのが難しいことかもしれません。
恐らくその理由は、意識的に「高次の源」に調律するという、
ひとつの「存在の真実」−−あるいは非存在の真実 −−を明らかにするからです。
でも、それでもかまいません。大丈夫です。
あなたの道は、最終的にはあなたを安らぎヘと導くでしょう。
安らぎは、それ自体がバランスとハーモニーであることを知っています。
それがあなたの自然な状態であるということも。
あなたの「我、実在なり」は、絶えずあなたを招いているのです。
この安らぎと平和を体験するように・・・

あなた自身の内なる安らぎを求めなさい。
あなたの存在の内側で、対立を秘めている領域のおおいを取りはずしなさい。
あなたの対立の中核となる原因を意識の明るみに出して、そして、それと和解しなさい。
あなたになされた不正が原因で何かに敵対しているのなら、その不正と和解しなさい。
その和解の中にこそ、安らぎはあるのです。
英語で"和解する(make peace)"とは、安らぎを、平和を生むことなのですから。

あなた自身の存在に内なる安らぎが生まれるまで、
あなたが平和を手にすることはありません。

ええ、不正はあるでしょう。
そして、そう、正しい行いもあるでしょう。
しかし、戦いと対立の時は終わりました。
静かな安らぎの時が始まっています。

あなたに敵対するものを愛することができるなら−−本当に愛することができるなら−−
恐れで反応することなく、むしろ愛で応えるなら、
そのとき、あなたの世界は変容し、その真実の姿を取り戻すでしょう・・・
それは平和と安らぎです。
ただ、あなた自身の生命(いのち)でありなさい。清らかに公正でありなさい。
あなたの行いの結果を、すべて考慮しなさい。
原因と結果を認識しなさい。
あなた自身に対する影響だけでなく、
他のすべてに対する影響、全体への影響も考慮しなさい。
あなたがたとえどんな良いことをしても、
それがあらゆるレベルで安らぎと共鳴していないなら、私たちはこう言います、
あなたは平和に生きてはいないと。
このような場合、平和というあなたの言葉は、単なるリップサービスにすぎません。
あなたの内なる世界で共鳴していないものを、外なる世界に創造することはできません。

行動と思考と言葉のすべてにおけるあなたの選択が、あなたの本当の意識の状態です。
平和のおとぎ話もファンタジーも、何ひとつ必要としません。
平和とは、天からあなたの頭上に降りてきて、
人類の汚れた創造物のすべてを洗い流してくれるような何かではありません。
今、あなたの内なる平和に生きなさい。
そうすれば、それはあなたのまわりにも姿を現し、
対立の最も闇のデモンストレーションさえも変容するでしょう。
今、ひと息ごとに、安らぎに生きなさい。生命に安らぎを吹きこみなさい。
安らぎには偉大なるパワーがあります。
そして、安らぎの中にこそ、平和と安らぎに調和しないすべてのものの解決策が存在します。

あなたが本当に地球の平和を望むなら、あなたが地上で心安らかでありなさい。
地球を敬いなさい。
互いを敬いなさい。
戦いをやめなさい。
対立をやめなさい。
人を裁くのをやめなさい。
競争をやめなさい。
非難するのをやめなさい。
愛し始めなさい。
思いやりを持ち始めなさい。
意識と覚醒と慈しみをもって行動を始めなさい。
平和を語り、平和を思いなさい。
平和的に行動しなさい。
平和を夢見なさい。
心安らかにありなさい。

平和を実現した時と場所、生き方を夢見なさい。
ユートピアでもかまいません。
平和と協調、愛と喜び、ハーモニーとバランス・・・
平和のその夢の中では、世界のすべての問題に解決策が見つかり、平和が実現されるでしょう。

平和を望むなら、心安らかにならなければなりません。
だから、心安らかでありなさい。
自分が対立に陥っているのに気づいたら、そのときはあなたの「キリストなる自己」に尋ねなさい・・・
「私は何に対立しているのでしょう?
すべてが神で、私が神であるなら、
それなら、なぜ私は私自身に対立するのでしょうか?
私が安らぎを見いだすのを助けてください。
私は対立を手放します」

意識を上昇させるには、闇と光の中間に安らぎを見つけなければなりません。
あなた方の多くが、安らぎは最も純白の光の中にあるという見方をしています。
また、確かに、安らぎはそこに見つかります。

しかしながら、すべてのエネルギーが和解して理解されるまで、
最も純粋な光を手に入れることはできません。
その和解と理解は、二極性の中間のスペースに存在します。
そのバランスと一様性の場所に、安らぎが見つかります。
安らぎは二極性の片方でも一方でもありません。その両方のバランスです。
白い色とは、すべての周波数の色々が一様にバランスのとれた総体なのですから。

世に出て、二極性のひずみを観察しながら、
それでもなお、あなた自身の内なる安らぎにあるなら、
あなたは安らぎとともに別の贈り物も運んでいます。
変化と刷新、平和と希望、そして虹色のハーモニーです。
しかしながら、二極性のひずみを観察して、あらゆる不正と平和の欠如にフォーカスをあてるなら、
そう、そのときあなたは安らぎをなくし、あなたがフォーカスをあてるそのものを創造してしまいます。
あなたに敵対する人々の間に座し、彼らの感覚を慈しみをもって受け入れることができるなら、
あなたは平和を見つけたことに気がつくでしょう。
そしてあなたの真実とバランスのとれた英知において、
あなたは平和とバランスを実演して見せているのです。
見た目には対立しているように見えるものに対して、対立することもなく。
世界を歩きながら平和を想像し、姿を現しつつある平和にフォーカスをあてるなら、
そのとき、あなたは平和を創造しています。

あなたの生を検証してみなさい。
心安らかなとき、あなたはどんなところにいますか?
対立しているときは、どんな状態ですか?
あなた自身に対立する勢力に、安らぎをもたらしなさい。
そうすれば、世界は鏡となって、その安らかな平和をあなたに映し出して見せるでしょう。
あなたが外なる世界に平和を捜し、ただ対立を見いだすだけなら、
それは、あなたの内側に対立があるという重要な手掛かりです。
あなたの外なる世界は、あなたの内なる世界を正確に映しだす鏡です
。あなたが安らかな平和にあるなら、
世界はあなたとともに、仲良く平和であることでしょう。
世界中が好転するまでに、あなた方のいったい何人が、
対立することなく心安らかに世を歩けばよいのでしょうか?
私たちはこう言います、いとしい子たち。
それは、あなた方が思うより、ずっと少ない数でよいのです。
安らぎに満ちた、ほんのかすかな身振りにさえも、そこには無視できない価値があります。
愛と安らぎが一瞬でも純粋に体現されれば、世界を変化させ奇跡を生むことすらできますから。
純粋な愛と安らぎがあれば、あなたの眼前で武器が崩れ落ちるかもしれませんし、
弾丸は空中で止まるかもしれません。
兵器を商う死の商人の、最も闇のハートさえ溶かせるかもしれません。
ことは本当に、それほどシンプルです。愛と安らぎは、愛と平和を創造します。

私たちは心からお願いします。
いま世界に描き出されていることに、気を落とさないでください。
多くのことを生みだしてきた歪みにも、やがて平和が訪れるでしょう。
あなた方はみな、内なる平和をにないます。平和は真実です。
平和は、安らぎはあなたそのものなのです。
しかし、その顕現を創造するかしないか、それはあなたしだいです。
エーテル界からあなた方のもとへと舞い降りてくるこの平和の生き証人となるかどうか。
あなたの生命のあらゆる様相において、安らぎと平和を創造するよう、心からお願いします。

あなた自身の生において、安らぎを重視しなさい。
自らの意識に安らぎをもたらしなさい。安らぎの導き手となりなさい。
そうすれば、まもなく、あなたのまわりのすべてに安らぎを見るでしょう。
他の人々はあなたの手本にならい、そして世界は平和になるでしょう。

実に、それは神の聖なるデモンストレーションです。
互いに愛せよ、しからば、平和は広まらん・・・対立を落としなさい。
競争をやめなさい。あなたの内なる戦争を手放しなさい。
あなたが心安らかになるとともに、外なる世界にも平和は生まれます。
あなたが愛でありなさい。そうすれば、この世に愛は生まれます。
対立してみなさい。そうすれば――もう、この続きはおわかりですね。

あなた方を愛しています。
平和と安らぎを熟考してもらうために、私たちは安らぎの中にあなた方を残します。
あなたが心安らかでありますように。あなたの顕現する世界に、平和が訪れますように。

私は・・・あなた方の平和に、あなたの安らぎに仕える者
・・・ 聖ジャーメイン ・・・

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上記のメッセージは、あなた自身や他の方々のために印刷、
あるいは「適切な」公表/転載の許諾とともに、
私たち「マア'アトの精霊」のもとへと送られてきました。
私たちの希望は、この聖ジャーメインのメッセージを、
皆さんから広く自由にご紹介いただくことです。
これが平和の本質に関するすべてを要約し、
地球に平和を達成するすべを概説するものと、
我々は信じています。

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ドランヴァロ・メルキゼデク:「フラワー・オブ・ライフ」(ナチュラルスピリット社)の著者
マアアトの精霊のHP
フラワーオブライフのHP: http://www.floweroflife.org/
ドランヴァロ・メルキゼデクのHP http://www.drunvalo.net/